The Drama of Magic. PartⅠBarong その7

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.99の1行目からp.100の19行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur :Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938)

 

憑依のために必要とするものは、村によって様々である。ある村ではプヌングンたちはバロンの口の中に頭を突っ込んで憑依のいわば開始をしようとするし、別の村では供物を彼らの前に供え、聖水を顔に振りかけて飲ませる。憑依する直前になるとプヌングンたちは世話人たちに見張られる。世話人たちはプヌングンたちを監視し、コントロールするのである。

 

 最も普通の上演手順ならば、バロンの舞踊にはストーリーがない。バロンのソロ舞踊は、あとに続くストーリーが複雑なバロン劇のプレリュードとなる部分である*1。あるいは2~3のコミカルな仮面をつけた踊り手たちがバロンに随伴することもある。このコミカルな仮面は別の登場人物たちと戦うことになるのである。ジャウッ(Djaoek, Jauk)あるいはオマン(Omang)と呼ばれるこの従者たちとバロンの関係も、謎に包まれている。次に紹介する民間伝承が従者たちとバロンの関係を明らかにするだろう。以前、悪魔の棲む島であると述べたヌサ・プニダ島(Noesa Penida, Nusa Penida) (訳註:バリ島の南東に位置する小さな島)に、たいへん凶暴な魔物ジェロ・グデ・ムチャリン(語義は「牙の生えた巨人」、Djero Gede Metjaling, Jero Gede Mecaling, またはラトゥ・グデ・ムチャリンRatu Gede Macaiang)が棲んでいた。彼の大事にしていた家がプラ・ぺエッド(Poera Ped, Pura Ped, Pura Peed)である。かつて彼は手下のオマンたちを引き連れて、バリへ上陸したことがあった。オマンたちはスケールの小さい魔物で、顔色が赤・緑・青・黄色と1体ずつそれぞれ異なる。ジェロ・グデ・ムチャリンはバロンの姿に変身してバリ南部クタ(Koeta, Kuta)の波打ち際に上陸し、そこに滞在した。そして手下のオマンたちは破壊を目的としてバリ内陸部に進んでいった。手に負えないと感じた人々は僧侶に相談し、「ジェロ・グデ・ムチャリンにそっくりのバロンを作ればよい」という教えを受けた。それだけがジェロ・グデたちを追い払えるのである。そこで人々はジェロ・グデそっくりのバロンとオマンを作り、彼らをヌサ・プニダ島へ追い払うことに成功した。それ以降、バロンが疾病と悪霊を追い払うために使われるようになったという。(注1:ジェロ・グデ・ムチャリンを表現しているのがバロン・ランドゥン(Barong Landung)であると考えられている。バロン・ランドゥンは原著のp.113(訳註:大部になるので後に掲載予定)を参照のこと。ヌサ・プニダ島の対岸のサヌールにはたいへん神聖なバロン・ランドゥンのカップルがいて、宗教儀礼の行進でごくたまに担がれている。

 

(↓白い仮面のジャウッ)

 

ジャウッたちの仮面は、グロテスクな人間の顔をしたものから魔物のラクササの顔に似たものまで、さまざまである。強烈な色の肌、出っ張った眼、大きく開いた口、歯磨き粉の宣伝のようなまっすぐで白い歯を見せびらかしている。そのなかでも垢抜けしたジャウッは、優雅な曲線を描きながら頂点へ向かう円錐形で、高さのある金色の冠りものをかぶっている。その片耳側には孔雀の羽が一房ぶら下がっている。さらにジャウッは長い爪のついた手袋をはめている。ジャウッたちはバリス(Baris)*2の衣装と同じように短冊状の布をたくさん身につけ、ぴったりとした白いズボンをはいている*3。冠りものには小さい帆のような白い旗が立っている。*4

 

(↓サンダラン)

 

外見はジャウッに似ているが、小柄できわめて優美な者たちはサンダラン(Sandaran)(訳註テレックTelekと呼ばれることもあります)と呼ばれている。彼らもバロンのテリトリーにこっそりやって来るのである。サンダランたちも一房の孔雀の羽をぶら下げた金色の円錐形の冠りものをかぶっている。時折、孔雀の羽のかわりに多色のタッセルをぶら下げていることもある。冠りものの「つば」には銀色の針のようなフリンジ*5がついていて、小刻みに揺れている。そして金の花が咲いたミニチュアの木をクラウン状に配置している。サンダランたちの仮面は小型で、肌は白色、薄い黄色、あるいはやや灰色がかった色をしている。アーモンド型のつりあがった目は神秘的な微笑をたたえている。

 

一般的にサンダランたちの総数は4名である。まずサンダランたちだけで踊ったのち、4名のジャウッたち*6が加わって踊る。ここから彼らは戦いのような展開を繰り広げる。素早く旋回したり、広々としたカーブを描きながら歩いて、互いに突撃したり散らばったりするのである。さらにそれぞれの陣地へ侵入したり撤退したりする。p.100→その間、サンダランたちの持った扇子は転回し続け、ジャウッたちの爪は絶えず震えている(原著:写真40)。

 

 しかしジャウッたちの総数は定められていない。筆者は以前、20人のジャウッたちが道端に集まっているのを目撃したことがある。そのそばにはバロンへの供物がゴザの上に用意されてあった。別の村ではジャウッは3人だけであった。バロンが登場する前に、彼らは村の主要道路から入った脇道をぶらぶら歩いていたのである。さておき、ジャウッたちは一連の素晴らしいソロを踊る。舞台空間を退場して他者へ場を譲る前に、ジャウッたちは互いに背を向け合ってガムラン奏者たちへ貼りついた笑顔で視線を投げかける。

 

 南部バリのタマン・インタラン(Taman Intaran)には神秘的な解釈があり、筆者を楽しませてくれる。ここでは「インドラ(Indra)神の庭に咲く花を食べる蝶がサンダランたちであり、バロンが所有するインドラ神の庭の庭師がジャウッたちである」という(注1よく似たテーマと振り付けに関しては、原著p.62のバリス・ククプ(Baris Kekoepoe, baris Kekupu)を参照のこと。そしてバロンは厳格なジャウッたちへサンダランたちに優しく接するよう戒め、両者の仲をとりもとうとする。ジャウッたちとサンダランたちが混在する四角形のフォーメーションが2つ出来上がると、和解を表現する。ランダが登場するまで、両者はひらひら飛ぶように踊っている。別の村は、この複雑で美しいプレリュードに異なる解釈をあてはめている。タマン・インタラン村の場合ジャウッは抽象的な庭師であったが、ここでは「王と2名の従者である」という。明らかにドラマが演じられているのであるが、スカ・バロンの長でさえ何の話が演じられているのかわからない。ずいぶん昔によその村から伝わって演じ続けているうちに、今ではストーリーを忘れてしまったのだろう。

*1: バロンが冒頭でソロを踊る場合もあれば、普通の上演手順でも冒頭ではバロンにソロを踊らせないという村もありました

*2:男性舞踊の1種、1ジャンル

*3:ぴったりとしていないこともあります。最近はあまりぴったりしていないです

*4:ジャウッのお面はたいてい赤か白が多かったです。また白い旗ではなく赤い旗をつけている村もありました。孔雀の羽などの装飾に関しても、村や演者によってバリエーションがあるのではないかと思います

*5:銀色の「フリンジ」は目撃したことがありません。どこかの村にはあった、或いは、あるのでしょう

*6:ジャウッのグループにプナンプラットPenampratやプナンプレットPenampretと呼ばれる仮面とキャラクターが含まれている場合もあります。その場合、上掲のジャウッの写真とは異なる仮面を使う村もあります

The Drama of Magic. PartⅠBarong その6

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.97の23行目からp.98の40行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur: Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

ランダの登場でもって、バロン劇の真に迫ったドラマの展開となる。ランダの魔力は2倍増、3倍増、5倍増へと段階的に漲っていくように見える。ここからは2つの強烈な力の交戦を象徴する以外のなにものでもないので、話の筋を必要としない。双方ともおそらく人間とは非友好的な関係にあると思われのだが、どちらか一方が勝利を得るのである。ランダとバロンの戦いを善悪の観点から考察すると、ポイントを誤ってしまう。バロンはドラゴンと戦う聖ジョージではない。バロンもまた、ランダと同じ類の悪漢である。ヒンドゥ僧侶が言うところの、タントリの神秘的な解釈なよれば(注:原著のp.273の補足、ならびに『ジャワ(Djawa)』誌1937年9月号に掲載されたハンス・ノイハウス(Hans Neuhaus)執筆のバロンに関する論文(訳註:「Djawa」jrg.17(1937):230-241)を参照のこと、意外に感じるかもしれないが、ランダから生まれたのがバロンである。そしてバロンは、一部の村人からランダへ反感を抱くよう仕向ける供物を与えられることによって勝利を得たという。そのような経緯があって、ランダが支配する死の力の侵入を防ごうとする人々をバロンは支持し、守護するのである。村人たちが神経を張り詰めながら毎回、バロンとランダが戦いを繰り広げる様子を眺めている様子は、われわれにも一目瞭然である。感情が強い緊張状態に高まるとトランスを誘発する。しかしそれは、外見からすぐにわかる村の霊媒(クリス・ダンサー)だけではなく、バロンやランダの踊り手、そして寺院の僧侶プマンク(注:はるか昔のヒンドゥ化される前の時代の信仰にヒンドゥ的概念を付け加えたという事実に反して、プダンダ(Pedanda、ヒンドゥ教聖職者)は儀礼の進行に関与しない。すべての儀礼はプマンク(村の一般人の聖職者)によっておこなわれるや一般の観衆にもおきるのである。p.98→バロン劇が演じられている最中、共同生活体としての村は、どういうわけか危険にさらされる。バロンの劇的な勝利は単なる状態の象徴を超えるものであり、それは重要な保証である。死の力であるブラック・マジックは壊滅しておらず、居住地である墓場へ追いやられた。いっぽうバロンは、バロンの安寧を願う下僕である村人たちによって嬉々とした献身的な世話を受けている。そしてバロンは勝利の行進を行いながら寺院へ帰る。かたやランダの仮面は胴体から離されて、籠の中に収納された。(原著:写真37、写真38)

 

 

バロンとランダが戦いを続けているあいだに、バロンの勝利が危うくなる瞬間がある。そのときである、クリス・ダンサーたちがバロンの盾となるよう前へ走り出し、ランダを猛烈に勢いで攻撃するのは。この行動はバリでも地域ごとに名称に違いがあり、ダラタン(Daratan)、プヌッドゥッグ(Penoedoeg, Penugdug)、ヌレッ(Ngoerek, Ngurek)、ヌニン(Ngoenjing, Ngunying)などと呼ばれている。またこの行動に関しても、さまざまな解釈がなされている。ある地域では「クリス・ダンサーたちはブタ・カラ(Boeta-kala, Buta kala, 魔物)にコントロールされてバナスパティ・ラジャの従者になった」、あるいは「主人のために喜んで死ぬことを見せるブタ・カラ自身である」とさえも言う。別の地域では「ランダが口にする呪文によってランダを殺したいという欲望がどんどん大きくなり、ついに怒りが押さえきれなくなってクリスを自分の体に向けてしまう。しかしバロンの力はランダよりも勝っているので、クリス・ダンサーたちの体が傷つくことはない」という。しかしまた別の地域では「瞑想の邪魔をされたランダは、加害者たちが物忘れをおこすような一撃をくらわして報復しているのだ」という。そのためクリス・ダンサーたちは意識を失って倒れ、動かなくなる。(注:クリス・ダンサーの1人は「倒れて転んでいる時に何を感じていたのか?」と聞かれ、「ランダを殺したかった。しかしもっと先へ進もうとすると進路を突然遮られ、倒れてしまった」と答えたその光景を見てクリス・ダンサーたちが死んでしまったと考えたバロンは、彼らに再び生命を与える。しかしランダは、彼らの生の力を自死に向ける力へと変化させるのである。そして彼らが満足を得るのは、クリスで体を貫くことだけである。このシーンを短くするため、つかみ合いをしているあいだのある時に彼らからクリスを力づくで取り上げようとする。しかし「胸や腕、頬、口など体の各部を突き刺しているあいだは、クリスを取り上げることはできない」という。(原著:写真39)

 

 

 若干の村人たちは簡単にトランスに入る能力を備えており、バロン劇が上演されるたびにトランスに入る。プマンクはドゥルガ神にも祈る。そうすれば村の霊媒たちが簡単にことを済ますことができると、また、他村からやって来た数名の見物人を神感によって導くことができると信じているからである。7日以内に死体に触れたことがなければ、あるいは7日以内に死体を触った他人に体を触られたことがなければ、プヌドゥッグ(従者)は滅多に怪我を負わないといわれている。仮に誰かが傷を負えば、プマンクが傷口の両端を閉じるようにして押さえつけ、その上にハイビスカスの花びらを置く。もしもほかのプヌドゥッグがその場に居合わせたならば、彼は怪我人の血をしゃぶろうとして身を投げ出す。読者は、クリス・ダンスの流血騒ぎを記述して衝撃を与えようとするバリに関するキワモノ的な本を読んだことがあるかもしれない。そのような本を実際に取材することなく書いたフィクションであると断言するのは明らかに無理である。おそらくそのような場に遭遇したことがないのは、運によるのであろう。かつて何人かのバリ人が、流血沙汰となったクリス・ダンスの詳細な話を筆者たちへ語ってくれたことがある。しかしそれでもたいへんひどい深手を負った男性は翌日、ふだんどおりに市場にいたという(つづく)。

 

補足(原著のp.273)
     『-プダンダによるバロン劇の神秘的(タントラ思想的)解釈 - 』
ランダは村に住む魔術を勉強している人々の力を破壊したかった。なぜならば、ランダは彼らが自分の危険なライバルになることを恐れていたからである。そこでランダは自身の本質を10の部分に分割した。そのうちの5つは水の性質を持ち、パンチャクシャラ(Pancakshara, またはパンチャクサラPancaksara)と呼ばれる。残り5つは火の性質を持ち、パンチャブラフマ(Pancabrahma)と呼ばれる。まず、イン(Ing)とヤン(Yang)という呪術的音(訳註:マントラ)によってあらわされる2つの部分は、ランダが自身の中に保ち続けている。そして残りの8つの部分を彼女は外面化させた。まずナン(Nang)、マン(Mang)、シン(Sing)、ワン(Wang)という音によって外面化されたものは、バロン劇においてはサンダラン(Sandaran)たちが象徴している。つぎにサン(Sang)、バン(Bang)、タン(Tang)、アン(Ang)という音によって外面化されたものは、バロン劇においてはジャウッが象徴している。さらにランダの高度な呪力によってそれら8つの部分はそれぞれペアとなって溶け合い4人の兄弟たち、すなわちカンダ・ウンパット(Kandempat, Kanda Empat)となる。

(訳註:ムラジャパティは現在Merajapatiと表記されます。ムラジャパティはプラジャパティPrajapatiとも呼ばれています)

このテーマはバロン劇の最初に、敵対するサンダランとジャウッたちの和解として演じられ、そして踊り手たちは4つのペアになって共に舞台を退場する。プダンダの解釈に従えば、サンダランとジャウッたちの舞踊を決して除外してはいけない。

The Drama of Magic. PartⅠBarong その5

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.96の14行目からp.97の22行目まで 

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

仮面には、白色やまだらのあるヤギのふさふさした毛を器用に長く編んだものが付けられていて、このウィッグは多量にモジャモジャと地面に着くくらい垂れている。 ランダの背中はこのウィッグでほとんど隠れてしまう。そして細いソーセージのような赤・白・黒の内臓が、垂れ下がった乳房のあいだにぶら下がっている。胸が平らで、数本の毛と乳首をあらわすボタンのついたポケットをぶら下げたランダもときおり見かける。スカーレット色あるいは黒色の長い舌には、四角い形をした金色やスカーレット色の皮革の装飾が施されている。この舌は大きく裂けた口から垂れている。

 

(↓ランダの頭部。以下3点の画像はスカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏の工房で撮影)

 

(↓ランダの仮面と舌)

 

彼女が口と頭から燃えたたせている炎は、ランダが放つ破壊の火を象徴している。脚と腕は、粗い毛で縁取った黒と赤の縞模様の織物で覆われている。そして透かし彫りが施された皮革製のエプロンを身につけているが、それはフリーメーソン会員のエプロンにかなり似ている。エプロンの帯の背中にあたる部分にはガルーダ(garuda)の頭が装飾されている。さらに帯には、外へ向かって広がるように、また舌のようにカーブしている皮革の細長い断片が加えられ、それは両腿を覆うように吊り下げられている。彼女は古めかしいベッドジャケット(訳註:ベッドジャケットはナイトガウンやパジャマの上に羽織る短い女性用上着を羽織っているかのごとく、目の粗い、白黒チェックのコートを着ている。そして指の背には動物の毛を、指先には半透明のたいへん長い爪を貼り付けた手袋をはめている。これと同じような手袋は、ジャウッ(Jauk)の踊り手も使っている。ランダは立てかけられた2本の傘のあいだから舞台へ姿をあらわす。その時、人々の眼にまず映るものがランダの震える長い爪である。この爪は呪力に満ちた記号と図が描かれた神聖な白い布で覆われている。ランダはこの布をふり回して、敵を鎮圧するのである。呪力に満ちた布と爪は、寡婦の恐ろしい特性を隠せない時でさえランダと切り離すことができない。同様に欠かすことのできないものがウンブル・ウンブル(Oemboel-oemboel, Umbul-umbul)という名の、細長くカーブした背の高い旗である。ランダの進行方向に向かって、ウンブル・ウンブルが旗先を地面すれすれで交差させることは、ランダが空を飛んでいることを意味する。ランダはしわがれ声で勝ち誇ったように笑い、ふさふさとした髪で地面を掃除するかのように上体を前後へふんぞり反しながら、喜びをふてぶてしいまでに表現している。

 

 頭上には緑のフリンジがついた白い傘をかざされて、図が描かれた灰色の布をかぶりながらランダは前進する。その後、踊りはじめるのである。長い爪と黒い毛を生やした獣のような手で旗をつかんだり、布の覆いを外して、花飾りをつけた灰色の髪を乱暴に乱したり、ふさふさとした髪をなびかせながら地面をよろよろと歩く。p.97→その後、ゆっくりと踊り跳ねるように歩きながら、最初に登場した元の位置へ引きさがる。その場所でランダは舞台空間へ背を向け、ふたたび旗の下で不動の立ち姿をとって瞑想に入るのである。ランダが地面を疾走したり、移り気かつ半狂乱の状態で長いソロを踊ると、体にぶら下げた内臓と乳房が揺れる。逃げるバロンを追いかけたり、まるでバロンの胴飾りに付けられた鏡を磨くかのようにバロン全体を両手でつかもうとする。バロンが進行方向を変えようとすれば、ランダは先回りしてバロンの顔をじっと見つめる。このとき、ランダはバロンの頭部近くに立っているので、バロンはあたかもランダを乗せようとする馬などの乗り物であるかのように見える。それでいてバロンもランダに擦り寄ったり、噛み付いたりするため、一瞬、2体の怪物が合体して1体に見えることがある。

 

 ある村には5体のランダがいる。呪術的到達度はそれぞれ異なるが、声と容貌のゾッとする恐ろしさに差異はない。5体の怪物は、雨が降らないことを願って焚かれるかがり火の煙がたちこめるなかで前方へよろめいたり、激しい身振りをしたり、喉を鳴らしたり、熱弁を奮ったりする。また食い意地の張った指で空気を掻きむしって、彼女たちの巨大な祖先の霊を揺り動かす。5体のランダたちは輪になって魔女の円舞を踊る。それは四肢を複雑に上下あるいは前後に使う動きと、洗練さに欠けるジェスチャーから成る踊りである。この寺の寺院で演じられるバロン劇には、いっぷう変わったエピソードがある。おぼろげな物影が、たいまつやお香の煙、そしてホコリのなかで身もだえし、うめくのである。親分クラスのランダは階段で大の字になってのびている。そしてランダの仮面が取り外されるときでさえ、踊り手の男性は深いトランス状態に入っており、仮面を外されることを激しく抗う。子分クラスの4体のランダの舌は籠の外へはみ出し、舌先は籠を頭上に載せて運搬している人の頭にかかっている。女性たちは供物を持ってあちこちへそっと行き来する。大気にはお香の香りと煙が満ちており、人々の神経は張り詰めている。バロンが歯をカタカタ鳴らせるのを遮るものは無い。そしてトランス状態の男性たちが突然叫び出す声が響いている。しばらくしてから平穏な空気が流れはじめ、口数の少なくなった人々が敷物の上を渡る。夢心地を与えてくれるかのように、ガムランが冷静に演奏される。ワリンギン(Waringin)の樹に、月のまわりの光輪が重なっている。(原著:写真35、写真36)(つづく)

 

 

 

 

 

 

The Drama of Magic. PartⅠBarong その4

Beryl De Zoete & Walter Spies  Dance and Drama in Bali』p.94の27行目からp.96の13行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

しかしバロンが路上に出没するのはガルンガンの時期だけではない。夕陽が沈むころ、行列が近づいてくるのに遭遇することも恐らくあるだろう。この集団はしっかりした足取りで、つるつる滑る下り坂を降り、小道を歩き、急流を渡る。乾燥した椰子の葉を束ねて作ったたいまつに、幻想的な火が点されている。人々は下り道を進めるにつれて笑ったり、叫んだりする。ついに、たいまつの炎しか目に映るものはない。僧侶たちは白い服を着ている。そして渓谷のはるか下では、バロンにつき従っている旗の先端が上下に揺れている。その場所でバロンは、寺院の開基祭と同じ日取りである自身の誕生日の沐浴を、2つの川が合流する地点であるとりわけ聖なる場所でおこなっているのである。(注:若干の極めて神聖なバロンたちは、水田の水が流れている送水路の下を通過することも、頭の高さを越える鉄製の大梁(訳註:吊橋の「塔」を指しているようです)がある近代的な吊橋の上を進むこともできない。そこで行列は必然的に送水路よりも高い土手や、橋が渡された渓谷の中を進んでいくことになる

 

 われわれが、バロン劇に包合されているコンセプトの数々を分類しようとすることは、バリ文化の歴史を充分に知り得ていないため、困難である。出来事を、数少ない理論に可能な限り結びつけることしかできない。ともかくバロンが踊ることを理解するために、バロンがなぜ踊るのか、そしてバロンは何を踊るのか、それらの点について少しでも知ることが重要である。

 

p.95→世界には、自分を動物の子孫でもあると考える人々がいる。その先祖にあたる動物はほかの祖先たちと同じように、その人々を助けるのである。アフリカでしばしば行われるように、ふさわしい供物を供えて接近すれば、その動物はかつて人々の祖先の1人に助けられたことがあるので、依頼者のために傑出した防御者になるのである。バロンも間違いなく「防御者としての動物」の部類に属すであろう。仏教における獅子はインド由来の仏教絵画で描かれているが、現実のライオンの姿ではない。それよりもバリのバロンにたいへんよく似ているのである。おそらく仏教以前に考えられていた、防御者としての動物、すなわち「祖先の友人」に由来するのだろう。 たぶんそのような絵画では現実のライオンではなく、エキゾティックな獅子舞(注:たとえば葛飾北斎筆の画集『日新除魔帖』に描かれている。日新除魔帖には、ライオンのように装った獅子舞の踊り手たちと、邪なるものを寄せ付けないよう彼らが踊っている姿が描かれているのような、想像上のライオンを実現しているのである。バロンはその造形的な姿のライオンと密接に関連しているように思える。ボマ(Boma)の頭は防御の装飾としてバリの寺院の門で見受けられるが、それはジャワのコロ(Kala)の頭とまったく同じである。コロは森の王者バナスパティ(Banaspati)として知られており、バナスパティはバリのバロンのいちばん普遍的な名前である。ラジャ・シンガ(Raja Singa)すなわち虎の王の仮面は、スマトラ(Sumatra)のトバ・バタック(Toba-Batak)族の家屋に掲げられており、形や機能はボマにかなり似ている。トバ・バタック族の墓石の前面には同類の仮面があり(注:バナスパティ・ラジャ(Banaspati Raja)であるバロンが墓場の守護者であるように、それは墓を守護する後面には尻尾が彫刻されている。いっぽう霊廟はバリのバロンが胴体をたまわせた姿と奇妙にも同じ形である。筆者も含めて人々は、バリ人が火葬の際に動物の形をした棺を用いることに、同類のトーテム崇拝の源泉を読み取ろうとするだろう。   

 

 しかしバロンが防御者としての動物ならば、バロンは何から人々を防御するのか?そして墓場の守護者であるランダと何の関係があるのか?われわれは慣れ親しんでいる、善と悪、光と闇といったキリスト教の概念を自分たちの考えから取り除かねばなるまい。バロンは、そして同じくランダも、ものごとの闇の部分あるいは野卑に属すと同時に、その反対の天国のようなパートにも属す。しばらく後に触れる予定であるが、シワ神はブラック・マジックで重要な役割を果たしている。そして彼の妻デウィ・スリ(Dewi Sri)は豊作の女神であるとともに死の神ドゥルガ(Durga)でもある。

 

 ランダについてはすでに何度も述べたのであるが、それでもランダのキャラクターに触れることなく話を進めるのは不可能である。様々な見方ができるランダは、バロン劇においてもう1つの重要な主人公となる。ランダとはバリ語で寡婦を意味する。しかし未亡人という意味に、危険性や戦慄といった類の畏怖が加えられた。未亡人ということは、亡き人の妻であり、夫が亡くなった時から着飾ったり装うことをやめるにきまっている。そしてあの世へと、夫につき従うものだろう。一般の想像力が、未亡人を死者の家である墓場に結びつけることは、いかに自然の成り行きであるかを知ることは容易である。そしてランダという名前に魔女という意味を加え、ランダがぞっとするような恐ろしい場所を占有している、とバリの大衆が想像するのはたやすいことである。実際、ランダという名前はあらゆる呪術で使われているし、魔女や魔術師にまったく関係がないときでも、ランダの仮面は怒りの状態にある神をあらわすもの(注:レゴンの演目スマラダナ(Smaradahana)(訳註:スマランダナ/Semarandanaともいいます)におけるシワ神の登場を参照として使われる。p.96→たとえばシワ神の妻であるギリプトゥリ(注:原著p.294のトペン劇におけるジャヤクスナ/Djayakoesoenaを参照、ラヴァナ(Ravana, Rawana)あるいはラクシャサ(Rakshasa, Raksasa)の妻であるシュルパナカ(Surpanakha)(注: 原著p.153、第5章ワヤン・ウォン/Wajang Wongを参照)、バッスール(Basur)舞踊劇で呪力を使って変身したバッスール(注:原著p.206、第8章アルジャとバッスール/Ardja and Basoerを参照)、死の女神であるドゥルガ、そして奇怪な怪物の仮面がない時に代用される。別のジャンルのトペン(Topeng)劇(訳註:仮面舞踊劇)では頭を豚の頭に変えられたブドゥルの王、そしてガンブー(Gamboeh,Gambuh)劇のアマッド・モハマッド(Amad Mohamad)(注:原著p.142、第4章ガンブー、チュパック、タントリ/Gamboeh,Tjoepak,and Tantri内のガンブーを参照)という物語ではチャロナランや他の魔女としてだけではなく白い象の代用としても使われる。   

 

 舞台に登場するランダの姿は、プラ・ダレムの彫像に表現されたランダに劣らないほど恐ろしい。光を反射してぴかぴかに輝く白い仮面には、金色の眉、大きく前へ突き出た眼、巨大な白い歯、そして額に向かって上向きにカーブしている牙が生えており、この仮面は恐怖の対象であるとともに崇拝の対象でもある。バロンの仮面と同じように、ランダも寺院に住んでいる。ランダの仮面は籠の中に収納され、地面に接触することなく保管されている。まれに2体から5体にものぼるランダの仮面を所有する村もあり、劇中でさまざまな段階へ変身する姿にあわせて使い分けている。(つづく)

The Drama of Magic. PartⅠBarong その3

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.91の33行目からp.94の26行目まで 

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

バロン・ケケッは、バロン劇におけるその立ち回りに関する話がたいへんよく知られていると同時に、他のバロンにくらべてはるかに重要なバロンである。ライオン、象、虎、クマのバロンは1年の決まった時期になると、路上で戦いの真似事を繰り広げる。そして野豚のバロンはしばしば、寺院の祭礼期間中に、トランスに入る人が必要とする媒体になることがある。(注:Additional Note, 'Birthday of a Barong Landung'を参照のこと。(訳註:大部のため、Part1バロンが終了後に掲載を予定)しかしバロン・ケケッが一連の劇で演じるような神秘的で理解するのに複雑な役を、これらのバロンが演じることは決してない。バロン・ケケッはたいへん高度で不思議な力を持っている。彼は村の寺院内に立てられた、あるいは村で有力な人物の屋敷内に建てられた、バレ(Bale)という特別に壁をめぐらした小さな家 に住んでいる。あらゆる聖なるもの、たとえば神々の彫像などと同じく、人間がバロンを地面に触れさせるようなことがあってはならない。p.92→そこでバロンはその収納小屋の天井から吊るされているか、もしくは木製の支柱の上に載せられた形で収納されている。後者の木製の支柱はバロン劇で使われ、出番を待っているバロンはその支柱の上に載せられている。小さな小屋の扉から、バロンの輝く仮面と金色の耳を見たことのある人もいることだろう(ことによると寺院の祭礼がある頃に、扉は緑・赤・青・金色で塗りなおされることがある。扉の上の灯り取りの格子と壁も小奇麗に塗りなおされる)。バロンは踊るために小屋から連れ出される前に、僧侶が口へ運んでくれる供物を待っているのである。

 

 2人の男性がバロンの動作を操る。1人は前脚と仮面を、もう1人は後ろ脚を担当する。バロンを動かせることは、並外れた技能を持っていることをあらわす。また、仮面が特にテンゲット(Tenget)(注:とりわけ神秘的な力が高いな場合、2人の踊り手は神の祝福を受ける。踊り手は2人とも一般的に、赤・黒・白の横縞柄のズボンをはいている。時には短い毛をつけたズボンをはいている踊り手たちもいる。

 

 驚くべきことは、音楽的才能に恵まれ、かつ創意工夫に富む踊り手たちが、バロン舞踊で繰り広げるたいへん豊かな表現である。もちろん前脚の踊り手が、踊りそのものにとって重要なテンポやリズムの指示を請け負い、またバロンが空間をどのように使うのかといった進行も請け負う。後ろ脚の踊り手は感覚を駆使して、前脚の踊り手のステップに従わなければならない。蝿を振り払うかのようにバロンがぶるぶると肌を動かす動きを、後ろ脚の踊り手が担当することもあるし、補助的な後ろ脚の動きが前脚の踊り手に想像力を与えることもある。バロンが1回でターンするとき、後ろ脚の踊り手は敏捷に、前脚の2倍から4倍の速さで横から移動することだろう。ときどき前脚の踊り手は、まるで後ろ脚の踊り手を騙してみたい様子で、身をかわすような素早い動きをおこなう。しかし後ろ脚の踊り手は前脚の踊り手が創り出すあらゆるニュアンスに対して、驚くほど誠実にほとんど従っている。そのため観る者は、バロンが2人の踊り手で演じられていることをまったく忘れてしまうのである。1頭の動物を模倣した動きが観客を魅了し、夢中にさせる。いや模倣であることさえ忘れて、この魅力的な動物の機嫌や行動が変化するのを、とりこになって観るのである。門に掲げられた、欠かすことのできない傘のあいだから危険な人間世界へと、警戒心あらわにバロンは登場する。ゆっくりしたステップと速いステップを繰り返し使いながら、舞台となるグラウンドのあちこちをじっと見つめたり、逃げたり、曲がりくねった進行をとったりする。ひざまずくこともあれば、みごと大の字に横たわることもある。座るときもあるが、2本の前脚を腕のように動かして踊っていることもある。後ろから飛んできた蝿にパクッと噛み付くこともあれば、頭と尻尾を使ってとてもコミカルな仕草をすることもある。魔女と戦っているときも、バロンは地面に身をすべて沈めるような仕草をしたり、毛がふさふさしたその胴体を真ん中で折りたたんだような状態になることもある。それはまるでヤギの敷物のような姿である。しかしそのポジションから前脚と後ろ脚の踊り手が、同時に不意打ちをくらわせるようにして舞台空間で踊りはじめる。

 

 バロンの動きのヴァラエティは尽きることがない。次のようなバロンの動きを見ることもあるだろう。クロスした脚で慎重に進み、ガムラン奏者の前で「伏せ」をする。あるいは傘に従われつつ身を低くして舞台となる地面を観察しながら、クルベット(訳注:前脚が地面に着かないうちに後ろ脚だけで優美に跳躍前進する高等馬術や、身悶えをする。寺院の門で舌を震わせながら座り、足の裏が見えるように脚を持ち上げる。あるいは簡単にできないステップ、すなわちポーイング(訳註:馬が地面などをひずめで蹴ることをする。それからゆっくりと徐々に興奮しだし、巨大で突き出た城塞のような彼の頭部は、尻尾に弾かれんばかりである。p.93→興奮しやすい脚が砂煙を蹴り上げだせば、バロンの金色の背中も生き生きとしだす。バロンは槍のあいだをゆっくりとひそやかな足取りでうろついた後、巻かれてあったものが解けたように、とつぜん一馬身ほどを疾走する。(注:むかし、新しいバロンがデンジャラン(Dendjalan, Denjalan)で作られた時、7つのバンジャール(bandjar, banjar)すなわち、村の7つの区が新しいバロンをかぶって踊るために踊り手たちを派遣した。あるいは新しいバロンを踊らせるために踊り手たちを行かせた、と言えるのかもしれない。それはバロンのステップの総レパートリーを目撃する素晴らしい機会であった。各2人のコンビネーションが失敗する可能性は少しもなかった。たくさんの非常に楽しい振り付けが披露され、踊り手たちとガムラン奏者の間で美しい対応があった

 

 バロンは常に音楽へたいへんな興味を示し(注:Additional Note 'Barong at Boeroean'を参照のこと。(大部のため、Part1バロンが終了後に掲載予定、時々、楽器の前に座ったりするが、その間も演奏者たちは冷静に最上の演奏を続ける。彼は太鼓が特にお気に入りで、片足を太鼓の上に乗せることを好む。しかし時折バロンは演奏中の旋律に不満を抱くこともあり、その時は決まって歯をカタカタ鳴らして、いわば音楽に噛みつく。バロンのさまざまな動きは、ガムラン(訳註:ガムラン音楽とバロン(訳註:踊り手の完璧なやりとりがあってこそ成り立つのである。ガムランは、感情の起伏が激しいこの怪獣が出す指図のすべてに従う。それはバリスの踊り手の気まぐれに従うのとよく似ている。緩慢から迅速へ、平安から興奮へ、という雰囲気の移り変わりに加えて、突然の静寂やためらいがちに窺ったりする様子、そしてほとんど人間としての意識がない状態でおきる神秘に満ちたシーンなどを、ガムラン奏者たちは目と耳を同時に働かせて読み取る。それは言語に絶するほど感動的でエキサイティングである。しかしすべての村にバロンがあるわけではない。北部バリや、ヒンドゥが流入してくる以前の文化を継承しているバリ・アガ(Bali Aga)と呼ばれる人々の住んでいる村には(注:我々はヒンドゥ教徒移住者たちの文化についてはほとんど知らない-おそらく、残存するテキストから得られるヒンドゥ教の概念とはかなり違っていることだろう-ので、独特な文化の要素を「ヒンドゥ教ではない」とレッテルを貼って分類することは、実際には不可能である 、ふつうバロンは無い。それに対して南部バリでは1つの村で2体の、あるいは3体におよぶバロンを持っていることが時折ある。そのたいていは虎か野豚のバロン、そしてバロン・ケケッという取り合わせである。バロンを持っていないのは経済的事情や、住人たちがそれほど関心を持っていないのでスカ(Sekaa, Seka)(注:クラブ)を結成しない等の理由も挙げられる。しかし僧侶がトランスに入り、神がバロンを欲しがっているという宣託を聞いたならば、障害のすべてを克服しなければならない。たとえば、ある村は卓越した神秘的な力を持つ魔女の仮面を所有していたが、僧侶がトランスに入ったときに神は「その魔女の仮面につりあうバロンをつくるように」と申し渡した。そのような場合、バンジャールを挙げてスカを結成し、ガムランや高価なバロンを1体購入するためになんとしてでも金銭を集めるのである。村を挙げてバロンを作ったときの逸話はたくさんある。そしてそれらの逸話は、素晴らしい胴飾りをつけた最高級のバロンを購入するために、すすんで献身的な態度になる村人たちを示している。ひどい凶作の年にブドゥル(Bedoeloe, Bedulu)村(注:ケチャの村の神々は、トランスに入った僧侶(Pemangkoe, Pemangku)を通じてカラスの羽を纏ったバロンを作ることを命じた。この命令に意義を唱える村人は誰1人としていなかった。そしてカラスの羽飾りの購入資金とするため、あと少しで支払いを終える村の高価なガムランを中国人のもとへ1年間質入することに決めた。そうこうするうち、25ギルダーにのぼる供物を供えたならば、人里離れた寺院でカラスの羽をみつけることができることを僧侶は知った。p.94→はたして、15日間にわたって毎夜、数百羽のカラスがその小さな寺院の1本の樹にとまり、翼をふるわせると雪が降るようにたくさんの羽が地面に落ちた。その15日間のあいだ毎朝、僧侶は羽を集め、そうしてカラスの羽を纏ったバロンが出来上がった。

 

 我々は最初に、いくばくかの事情をブドゥル村のバロンから知り得た。そしてここのバロンが、バリの歴史の初期において偉大な王たちの何人かがおそらく中心地としていた、まさにブドゥルという村の歴史的エピソードと結びついている。シヴァ神の妻ギリプトゥリ(Giriputri)はバリの王の祈りに応じて姿を現し、次のような約束をした。すなわち「ある特定の日に特製の供物を捧げるならば、この国を疾病から保護する。また人間を殺したり体内に侵入したりする3種の鬼に、鬼の偉大な王であるサン・カラ・グデ(Sang-kala-gede)すなわちバロンの体内へ入るよう、おびきだそう。しかし必ずガルンガン(Galungan)(注:新年 訳註:ニュピ/Nyepiを新年の元旦と解釈するのが一般的かと思いますが、ここでは原著に従いましたには、供物と金銭を受け取ることができるようにバロンを練り歩かせなくてはならない」と。このエピソードには後日談があり、ある有名な王は供物が過分に捧げられたと思い、すべてを取りやめる命令を出した。すると王はインドラ(Indra)神によって殺されてしまった。(注:その物語は'Topeng Stories'原著p.294を参照。(大部のため、Part1バロンが終了後に掲載する予定です

 

 こんにちまでバロンを練り歩かせる行事は、ガルンガンの時期に正確におこなわれている。ガルンガンは我々の万霊節に相当し、祖先の神々がアグン山から降りてきて家々の寺院の祠を訪れる日である。この日バロンは道路に出て、自由が与えられる。昼夜を問わず、バロン同士が路上で遭遇することもある。ガムランと小規模な群集がつき従い、バロンが踊りながら家々を門付けして金銭を集める。かつて筆者たちは夕陽が沈むころに、20体から30体におよぶバロンが山道を流れるように下ってきて、聖なる沐浴場ティルタ・ウンプル(Tirta Empoel, Tirta Empul)に集まる情景を目撃した。それぞれのバロンにガムランが付き従っていた。カップのような形をした谷間の窪地で同時に、めいめいのバロンのために演奏していたのである。それは素晴らしい音楽的効果をもたらし、また説明できないほど美しかった。バロンたちは寺院の供物から餌を貰いうけ、何体かは感覚が異常に研ぎ澄まされる状態を得てトランスに入った。(つづく)

 

 

The Drama of Magic. PartⅠBarong その2

Beryl De Zoete & Walter Spies『Dance and Drama in Bali』p.90の13行目からp.91の32行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

 バロン劇は、宗教や社会と切り離して記述することができないバリの舞踊劇の代表例である。バロンという神秘的な動物が、寺院の中や路上で踊っているのを観ることは、もちろん可能である。バロンは金箔を施した皮革の装飾をまとい、歯のある仮面をつけている。その身の表面を立派に覆っているものがいくつもの当惑するような演出を隠していることや、人を楽しませるこの怪物がバリの哲学のシンボルであることを知らなくても、バロンの機敏で魅力的なステップに関心が注がれるだろう。バロンは、バリの舞踊劇でもっともよく知られていると同時にもっとも曖昧であり、著しく具体的であるのに著しく抽象的であり、典型的なバリらしさを含むいっぽうであまねく普遍性をもつ。その名前にしても猛々しい動物の類、もっと適切に言えば、おそらく野獣を意味しているらしいというぐらいしかわからない。著者たちはバロンに関して証明できる源泉やシンボリズムと意味をバリ人よりも少しは知っているが、それは後回しにして、バロンを観たことがない人たちのためにバロンそのものについての記述を進める。

 

 バロンは長くたわむ胴をもつ神秘的な怪獣である。 

(上の写真2枚はデンパサール市P村のバロン・ケケッ)

 

胴体は竹と糸で骨組みされており、仮面の動物にあわせて、それにふさわしいさまざまな材料で胴体が覆われる。

 

(スカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏が 仲間たちと共に製作したバロンの胴体内部を撮影)

 

 現在、バロンの仮面として虎のマチャン(matjan, macan)、野豚のバンカル(bangkal)、象のガジャ(gadjah, gajah)、ライオンのシンガ(singa)、牛のレンブ(lemboe,lembu,原著写真32参照)(注:著者たちは牛の仮面のバロンを一体だけ知っているが、動いているのは1度も見たことがない。その牛のバロンは、Tafelhoekの珊瑚でできたブアル(Boealoe, Bualu)村のものである。この章の終わりに、著者たちが見たことのないバロンの仮面の名前を挙げる(訳注:Tafelhoekはヌサ・ドゥアNusa Duaを指す)、ケケッ(keket, ketet, kekek, ekek←原著ママ)がある。ケケッは実在の動物ではなく森の王者バナスパティ・ラジャ(banaspati radja, banaspati raja)であると、すべてのバリ人は判断する。

 

 もしバロンの仮面が野豚ならば、骨組みの上に黒一色の布地で覆われたものが胴体となる。ときどき白い荒毛が散らされたように布に縫い付けられていることもある。バロンの仮面が 虎の場合ならばスカーレット色の布が使われる。その場合、布には縞模様があること、そして葉のようなかたちの菱形ガラスが貼られ、慣例に従ってバラの花が描かれているのが虎のバロンの様式である。虎のバロンは長くて大きな尻尾をまっすぐに立てている。そして象のバロンの場合、胴体はふつう青みがかっており大きな斑点がある。

 

 とりわけ神聖なバロン・ケケッの胴体は、寺院の屋根を葺くためにも使われるドゥック(doek 砂糖椰子の繊維)、あるいは長くて雪のように白い毛が毛羽立ったブラッソッ椰子(braksok)の繊維を湿らせて漂白したものや、白さぎや鳩の羽で葺いている。またカラスの黒い羽で葺いた胴体もあれば、滅多に見かけないが孔雀の羽で葺いた胴体もある。その孔雀の羽で葺いたバロンはたいへん神聖で強烈な呪力をもつ。というのも孔雀はシワ(Siva)神の居住地や天界を象徴する動物だからである。大多数のバロンは人々が大切にしている呪力を持つ布を、どこかに身につけている。そのような布の代表例がトゥンガナン(Tenganan)村のグリンシン(Gringsing, Gerinsing)という布である。グリンシンは特定の良い日を選んで織られた布である。そのような類の布はさらに神聖な彫像の飾りつけに使われるとともに、歯を削る儀式や火葬儀礼など、すべての通過儀礼でも重要な役割を果たす。(原著写真33参照)

 

 バロン・ケケッの胴には金の馬飾りが華やかに取り付けられている。その馬飾りは透かし彫りを施した皮革製で、その上にはラウンド状に小さく細工された鏡も装飾として加えられている。鏡はなだらかな曲線や渦巻きの形状に配置され、輝いている。 バロン・ケケッの尻尾は高いアーチ型を描いている。それも胴体の飾りと同様に透かし彫りで細工され、金箔が施されている。尻尾の先にはサッシュのような布や孔雀の羽、小さな長方形の鏡と並んで、踊れば音が出るように鈴が取り付けられている。

 

(↓スカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏が 仲間たちと共に製作したバロン・ケケッの尻尾。緑色の布のそばに孔雀の羽が見える)

 

バロン・ケケッの頭部は巨大な建造物である。透かし彫りの皮革のほか、悪魔の頭(訳注:原著ではdemon heads、ここでは神格を象徴する装飾のことを指していると思われる)、揺れるように動く金の花、ラウンド状に小さく加工された鏡で装飾され、光り輝いている。

(↓スカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏が 仲間たちと共に製作したバロン・ケケッの頭の後部)

 

そして頭部全体はバロック風のカーブを見事に描いており、あたかも教会の小尖塔か、塔や頂がそびえたつミニチュアの町のような風情である。バロンの飾り物のなかでも中心となるのが、素晴らしい頭部の飾りである。(原著写真34参照)

(↓スカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏が 仲間たちと共に製作したバロン・ケケッの頭部の装飾)

 

 バロン・ケケッの頭部の飾りは、バリ人の性向を示す良い例である。すなわち壮麗さを誇張したいがために、そのままでも美しいものに余計な手を加えようとするバリ人の性向である。特に愛する動物の頭部に、そのような華麗で眩い建造物を加えたのである。仮面は頭部の飾りにくらべて小さい。真紅色で艶が出るように磨かれてある。眼は突き出て、出っ歯のうえに牙が生えているが、踊っている時に上下を噛み合わせて音を出す。

(↓スカワティSukawatiのプアヤ村Br.Puaya在住の彫革師イ・マデ・レダI Made Redha氏とバロン・ケケッの仮面)

 

前足の踊り手が、仮面をしっかり持って制する。仮面には小さくて敏感な耳がある。その耳の後ろには翼を広げたような形の、透かし彫りが細工された皮革製の装飾がある。

(↓バロン・ケケッの耳と周辺の装飾)

 

大きな金色の肩章は肩にぴったりとくっつき、バロンが頭を下げるとそれはまるで巨大な象の耳のように垂れる。顎には黒いあごひげを生やしているが、その材料は人間の髪の毛であり、フランジパニの花があごひげの数本に括りつけられてある。そして、あごひげにバロンの神秘的な魔力の精髄が存在する。伝染病の猛威から村を守るためにバロンを眠りから起こしたとき、僧侶は椰子の殻に水を入れてバロンの前に差し出す。バロンはその水の上で歯をカタカタと鳴らし、あごひげの先を水に浸す。そのようにして出来上がった聖水が治癒力を持つのである。女性や子どもたちはお守りとして聖なるあごひげを1本、手首に巻きつけていたり、あるいはせがむことが時々ある。バロン劇の最後の場面でクリス(訳注:)を手にした踊り手たちをトランスから覚めさせるのが、バロンのあごひげである。また、ある村ではバロンのあごひげに頭を近づけることがクリス・ダンサーたちの最初になすべきことでもある。(つづく)

The Drama of Magic. PartⅠBarong その1

Beryl De Zoete & Walter Spies
『Dance and Drama in Bali』p.86の1行目からp.90の12行目まで

(1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press
  Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938)

 

神々への供物として踊られる舞踊があり、かたや神霊と交わりをもつ舞踊があり、いっぽう観客へ見せることに主眼を置いた舞踊がある。そして悪魔祓いの舞踊もある。すべてのバリ舞踊は宗教的背景を備えている。たいてい1つの舞踊に、前者3つの特徴が組み合わされているものである。しかし最後に挙げた悪魔祓いの舞踊はたいへん重要で、悪霊を恐れたり、なだめたりするバリ人を理解するのに欠かせない。

 

 祖先の神々のことで常に頭がいっぱいであるバリ人は、この世界をともに棲み分けている自然界の霊や、呪術の存在をも考えている。というのも呪術も含めて、自然界な棲む、神秘的な力を持つ霊たちはなんらかの不満があると、人々の健康や平和をたいへん乱すからである。バリ人は「恐れている」と白状することを恐れはしない。バリには畏怖されるものがあり、これに対して無鉄砲な態度をとることは価値観の問題ではなく、愚かなことなのである。「そんなものは存在しない」と取り繕ったところで魔性や災いから解き放たれない。魔性に供物をささげることによって災難の解決が得られる。魔性に休息所を与えると、ともあれ魔性はその休息所にとどまる。善と悪は諸刃の刃であり、その形をこわさずに、どちらか一方だけを取り出すことはできない。もちろん生活するうえで危険なものは片付けなくてはならない。とはいえ、バリの死刑執行人は、これから処刑される人間に許しを請う。なぜならば犯罪者の魂と執行人の魂の関係に、本来、憎しみや対立はないからである。同じようにバリの屠殺人は、生贄や食料になるために殺される動物にも許しを請う。彼は人間が糧を得るために、やむを得ず動物を殺さなければならないからである。

 

 すべての病気や事故は、悪霊のしわざによるものと考えられている。悪霊は災いをおこすのに都合のよい場所を見つけるものである。バリ人はできれば疾病や事故の現場からいつも回避しようとする。なぜならば、病人や死人は周囲の人々の生命力を吸収しようとする、と考えられているからである。また、目に見えないものの存在する場所を侵害することは、生命や生活のバランスを乱し事故をひきおこす原因となるため、分別に欠けた行為として考えられている。

 

 悪霊はバリ人の描く世界観のどこにでも存在し、特別な供物を捧げてなだめなくてはならない。村の僧侶や呪術師は、魔性に関するすべてを知っている。というのは、おびただしい量の伝統文学が魔性について述べているからである(注:人間がとる行動それぞれに、良き日をそれぞれあらわした暦もある。たとえば、ある種の魚を獲るにはいつが良いか、髪や爪を切るにはいつが良いか、旅行に出発するにはいつが良いか、家を建てたり木を切るにはいつが良いか、豚を屠殺したりコオロギを捕まえるにはいつが良いかなど。○○するに良い日があるということは当然、悪い日もある)。バリで祭礼があるとすれば、それは家寺(sanggah)や、村の寺(poera desa , pura desa)、「奥」の寺(poera dalem , pura dalem)(注:プラ・ダレムはたいてい「死の寺」と訳されている。しかしダレムは「死」を意味せず、「内」を意味する。プラ・ダレムは墓場を監督し死の女神であるドゥルガ/Durgaへ捧げられていることは事実だが、プラ・ダレムで死に関する儀式は行われない。それは呪術師たちの仮滞在所みたいなものである。やっかいな問題を避けるために、ここではプラ・ダレムはプラ・ダレムと呼ぶことにする) などであり、そこにはこのうえない巧妙なデザインで形作られた沢山の見事な供物があり、時には6フィートから8フィートにもおよぶ塔が建っている。そしていくつかの供物は地面に広げられている。さきの供物に比較すると、それらは美しさに欠けていて、ぞんざいな印象を与える。後者のそれらはバンテン・リン・ソル(banten ring sor)あるいはムチャル(metjaroe , mecaru)と呼ばれる供物の類で、悪霊をなだめるために捧げられている。5日毎に各家は門の外側の路上にバンテン・リン・ソルを広げて、悪霊の仕業から防御する。また魔性の力がみなぎる「15日」のカジェン・クリウォン(kadjeng kliwon , kajen kliwon)ごとに、さらに大規模な供物を路上に用意しなくてはいけない。その日の夜には三日月型に割った椰子の実を2枚、中央を重ねるようにして内側を空へ向け、その重なり合ったところへ火を点したものが村の通りに沿って置かれてあるのを見かけるだろう。悪霊はバリ暦のニュピ(njepi,nyepi)という日に跋扈する。その日、家々は灯りや火を点さない。そして人々は室内にこもる。それはバリに人間はいないと悪霊に思いこませて去らせ、また彼らが村人を捜さないようにするためである。もし、田んぼのなかを通り抜けるならば、悪霊に発見される危険はずっと少ない。しかし、じっとしておれない西洋人のために規定が作られた。罰金を払うならば西洋人は車で移動してよい、という規定である。それぞれの村が悪霊の進入を防ぐために、さりげない工夫をおこなっている。山岳地帯のいくつかの村は実際、悪霊が誤った方向へ進むように趣向を凝らした門を苦心してつくりあげた。プライベートな家屋敷に通じる門をくぐると、レンガや泥土、椰子の葉でできた壁があって、悪霊がまっすぐに進むことを防ぎ、かつ誤った方向へ進むようにできている。同じ理由から、寺院の内庭のそれぞれに階段があるが、上がってきた階段のちょうど反対側に下りの階段を設けるようなことは滅多にない。悪霊はやみくもにまっすぐ進むのみで、右や左に曲がることを考えないからである。同様に思いがけず壁に穴があいたら、ただちに手に入るものを使って穴を塞いでしまう。

 

 しかし、もっと身近に危険で恐れられているものがある。それは人間が人目を避けて仕組む災いである。このような災いを仕組むことができる人間は、人々へ不幸をもたらせるよう動物に変身する能力を身につけている。それがレヤック(leyak)である。たいていのバリ人が、同じ村に住む数名の名前を挙げることができない。その数名の怒りを招くのが恐ろしいから、数名の名前を敢えて口にしたくないのだ。しかし誰がレヤックであるのかわかっていて、その証拠をはっきりと示すこともできる。レヤックを見たことがない人など、まずいない。たとえば、われわれ外国人には家畜の姿に映るのであるが、異様なスピードで逃げ出す牛や、白いめんどりの死体になにかが仕組まれていて、それらはレヤックとしてバリ人の目に映るのである(注:もしもあなたが猿の尻尾を握ったけれども、手の中から尻尾は消えて布に変わっていたとしたら、それは普通の猿ではないことに気づくだろう。そして翌日、女性がスカートを返してほしいと頼みに来て、これからはもっと行儀よくすると約束したならば、その女性が昨日の猿であったとわかるだろう)。そして災いをもたらす呪術を使う人を外見から見分けるしるしがあるという。そのような人物は鼻の下の溝を欠いていたり、人目には体が上下反対に映ったり、あるいは話しかけている時に相手をまともに見ることができない、と言われている。レヤックたちが猿、犬、豚、去勢していない野豚、馬、虎などの動物に変身して墓場にあらわれるのは夕暮れ時で、彼らは悪の力が人々に察知されるよう仕向ける。一般の健康な人は、レヤックに対してそれほど危険ではない。しかし病人や、お産で体力を使い果たした疲労困憊の状態にある女性など、体の抵抗力が衰えている人たちをねらって、レヤックたちは活躍する。2種類のレヤックがあり、1つは生まれながらのレヤック、もう1つが後天性のレヤックである。前者の場合、遺伝性のレヤックで、テキストを勉強する必要がない。また彼らが仕出かす悪さはまったく害がない。とは言っても彼らの魂がなにかの形に変身したり、いたずらをすることもあるが(注:たとえば、源氏物語の夕顔が亡くなるエピソード。夕顔は六条の婦人< 訳註:六条の御息所を指していると思われる>の嫉妬心によって殺された。しかし六条の婦人の意識が正気の時は、罪をまったく犯していなかった(訳註:夕顔の死因は妖怪によるものか、六条の御息所によるものか不明。いっぽう葵の上の死因は六条の御息所の生霊による後者のレヤックはロンタル(lontar)(注:バリのあらゆる本はロンタル椰子の葉を材料としている。ロンタル椰子の葉を細長い型にして、ベネチア風すだれのような体裁でとじられているに記載されている呪術法を学び、練習を経て能力を得たのである。彼らは規定の儀式やそれに必要な供物について熟知していなければならず、呪文を暗記しなければならない。バリアン(balian)は呪術医あるいは魔術師であり、レヤックたちの貪欲な乱入を防がねばならない。そしてバリアンは諸刃の刃のうちの善に属す。バリアンたちは生まれながらにしての霊媒師であることもあり、テレパシーによるトランス状態に入って病気の原因や治療法をみつける。またはロンタルを研究し、近代医がmateria medica(薬物、医薬品)を扱うように、ないし学者がリファレンスを使うように、ロンタルの使い方を知っている先達のバリアンのもとで学習することもある。呪術法に関するロンタルには、プンギウォ(pengiwa)と呼ばれる災いをもたらすための呪術法すなわち左の呪術法や黒魔術と、それら黒魔術のプンギウォに対立する右の呪術法すなわちプネンゲン(penengen)がある。バリアンは双方の達人でなくてはならない。(注:黒魔術のプンギウォとそれに対立する右の呪術法プネンゲンの双方は、呪術劇において重要な役割を果たすので、それらの状況を暗に示すことがさしあたり必要である。詳しいことはミゲル・コヴァルビアス(Miguel Covarrubias)の著作『バリ島(Island of Bali)』を参照のこと。彼の本は魅惑的な識見に溢れている)

 

 他の国々や地域と同じく、バリでも墓場が呪術の中心地である。レヤックたちの大好きなおもちゃは死者で、特に亡くなった女性の胎内にいてこの世に生を受けることなく葬られた赤ん坊が、大のお気に入りである。呪術的力を充填するために魔女や神秘的な力を持つ魔術師たちの仮面が晒されるのは、墓場である。チャロナラン劇(Tjaronalang , Calonarang)とバロン劇(Barong)という、バリの2つの主要な呪術劇の舞台となるのも墓場である。プラ・ダレムは村のなかでも、聖なる山から最も遠く離れた場所に位置する。聖なる山とはアグン山(Goenoeng Agoeng , Gunung Agung)のことで、ここに先祖たちが住む。どの村もこの山が見える方位にあわせて、整えられている。同時にプラ・ダレムはプラ・プセの反対方面に位置する。プラ・プセは、聖なる山から最初に村へやってきた祖先たちを祀る、特別な寺である。南部バリではカジャ(kadja , kaja)が北を指し、北部バリでは南を指す。どちらもアグン山のそびえる一帯をカジャという。海はアグン山の反対側にひろがり、不浄と考えられている。そのため、ハンセン病患者たちの集落はつねに海側に寄せられている。悪魔たちが疾病やペストなどの伝染病とともにやってくるのも、海からである。グルダッグ(gredag)という悪霊祓いの儀式は、異常な病気が流行るころにバリ中でおこなわれる。同時に、南部の海辺のクラマス(Keramas)地方では、ぼろぎれや仮面・木の葉で可能な限り変装して、妙な均衡がとれているように装う。クラマス地方はヌサ・プニダ(Noesa Poenida , Nusa Penida)島から悪魔が上陸したために、危険な場所なのである。この本でもしばしば、ヌサ・プニダが強力な悪魔の棲む島であることを述べてきた。

 

 プラ・ダレムはたいてい、呪術の博物館である。あるプラ・ダレムは、地獄(注:地形学的に言うと、地獄が天国と同じということになる。おどけて言うと、祖先の家は天国と山にあるということになる。地獄は噴火口であり、そこで悪人たちが火を燃やしているというが、噴火口は山にある)の拷問図をポルノグラフィックに描いたレリーフで外壁を飾っているので有名である。(注:バリ北部のサンシット(Sangsit))似たようなケースで、よそのプラ・ダレムにはレヤックの奇妙な石がある(注:バリ南部のTangeb 。石の形はボール状または卵型で、レヤックの姿が彫りこまれてある。そのレヤックは流し目をして腹を膨らませ、骨のない脚を組んでいる。細い腕には球根状の瘤があり、人間や動物というよりも、水袋あるいは膨らんだ袋に似ている。寺の中の祠や階段、手すりは偉大な魔女チャロナランと弟子たちの彫像で満ちている。寺の入り口に面した祠の中に入ると、すぐに魔女の恐ろしい像に出会う。それはチャロナランが死の女神ドゥルガ(Durga)(注:シバ神の妻。ギリプトリ/Giriputriが墓場にいる時の姿に変身した像である。ガラスの眼は恐ろしいほどの慈悲深さで輝いているが、矛盾にも彼女は大きな口をあけ、長い爪を伸ばした指でこどもの手足をばらばらに裂いている。彼女の頭には、炎を表現する木製の釘が突き出ている。しかし彼女の頭部は、寺の管理者が取り外すことにめったに同意しない白い布で覆われている。その祭壇の後ろには、チャロナランの娘ラトナ・ムンガリ(Ratna Menggali)の愛らしい彫像がある。そしてもっと高い祠の階段の最上階には、レヤックと弟子たちに護衛されたチャロナランが再び、聖人ムプ・バラダ(Mpoe Bharadah , Mpu Bharada)とともにいる。チャロナランの魂は、ムプ・バラダが彼女の肉体を滅ぼすことによって 救われるのである。

 

 墓守の家にくらべて、寺の外側に位置する墓場そのものはたいへん平和かつ安寧である。しかし夜になってレヤックたちの会合を開く場所は、墓場である。レヤックたちは墓場で能力を増加させ、先輩レヤックたちの指図を受ける。夜に墓場のそばにいるのが知られたら、レヤックの疑いをかけられるだろう。ことに万が一、夜遅くに豚や翼の生えた馬が部屋の外にやってきたのを目撃されたならば。

 

バリ人が夜の墓場を非常に怖がるのは、そこで何事かが起きているからである。そしてもちろん死を恐れている。しかしだからといって、死に対する彼らの態度は陰鬱なものではない。火葬儀礼はほんとうに陽気な雰囲気に包まれているし、墓場のシーンが必ずお笑い劇でとりあげられる。バリの演劇で大爆笑を誘う陽気な場面は、少年や男性がたいへんリアルに演ずる妊婦が早産したうえに、こどもは死産で、墓場に死体を埋めたところレヤックに盗まれてしまうというシーンである。またバリ人はヒステリックなまでに火葬儀礼で浮かれ騒ぎをして虚勢を張ろうとするが、それは死に対する婉曲的な挑戦の1種になるのかもしれない。おそらく賑やかな音はブタ(boeta , buta)を単に追い払うためで、火葬塔を移動させるのも、まっすぐに進むことしか知らない彼ら を騙すためであろう。あるは高位の気味の悪い霊が感情をほとばしらせているのかもしれない。確かに、そのような浮かれ騒ぎは、葬式の陰気さを払いのけるという点で良い効果をもたらす。

 

 

 以上は、これからすすめるバリの呪術劇に関する記述の序章であり、チャロナラン劇に登場する、寡婦の卓越した魔女ランダ(Rangda)を中心に述べた。しかし、ランダと同じ舞台に登場するバロンを紹介することなく、またバロンとランダの重要性を説明せずに、話を進めることはできない。(つづく)