The Drama of Magic. PartⅠBarong その13

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.109の35行目からp.113の29行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

『トゥルニャン村*1のバロン・ブルトゥック』 

 

(原著写真No.43とNo.44) 

  1日の終わりを迎える頃に、とても異例のキャラクターが踊って締めくくることがなければ、この神秘的な祭儀は、舞踊に関する本の中に収まりのよい場所はほとんどなかっただろう。この神秘的な祭儀、つまりバロン・ブルトゥック(Barong Beroetoek, Barong Berutuk)は、p.110→椰子酒を流す儀式と、神々がこの機会に憑依したと考えられる老人2名が儀礼的に戦った翌日におこなわれる(脚注1:原著p.53を参照)。以下に紹介するように、若い未婚の男性たちはバロン・ブルトゥックのために一肌脱ぎ、かなり風変わりなドラマの排他的な役を演じる。そして誰もバロン・ブルトゥックの意味や趣旨はおろか、その由来や重要性も説明できないのではあるが*2ドラマティックな意味の類を持っている様子なのは明らかである。また、ブルトゥックたちのうちの2名は王と王妃のキャラクターを帯びているのが、疑いもなく感じられた。さらに、のちに説明するように、人々は独特の畏怖をもってブルトゥックたちを観ている。バロン・ブルトゥックを演じるために、18名のトゥルナ(Troena, Truna, 若い未婚の男性)*3たちが、選ばれた(ブルトゥックという言葉はおそらく「襲いかかる」「すみへ追い込む」を意味しており、この風変わりなドラマの演者たちが行うことをよく表現している)。まず演者たちは祈り、聖水をいただいたあと、お香の煙を身に受けるのであるが、この時の彼らの衣服は小さな腰布と、椰子の葉を編んだ縄を背中から胸にかけて回しているのみであり、それ以外は裸で頭にも何もかぶっていない状態である。そのあと、身支度が寺院の庭のへんぴな場所で行われる。これから演者たちが身にまとうブルトゥックの衣装は、バナナの葉でできた蓑のようなスカート状のものが、1人につき2つずつ。この蓑のようなスカート状のものは、祭儀の前日に、寺院の外で、大きな山のようになって干されていたのを筆者は見た。2つの蓑のようなスカートのうち、1つは首の周囲を囲むように結わえつけられ、もう1つは腰の周囲に巻きつけられた。そのために見た目は乾燥した葉でできた大きな繁みのようであるが、その下からは演者たちの白い脚が露出している。ブルトゥックたちは、メーデーのパレードに登場するジャック・オー・ザ・グリーン(Jack–O'–the Green)にいくぶん似ていた。
 繁みの上には仮面があり、それは丸い顔や卵形の顔、平べったい顔のもの、白、黒、グレー、赤色のもの、大きな耳を持っていて額にまっすぐな肋骨状のものがあるなど、さまざまである。ある仮面は真ん丸のジッと凝視したような目を持っていたが、半円状に黒色が入った目の仮面もあれば、ほかの仮面は単なる切込みを目としていた。先述の王と王妃はドゥルウェネ(Droewene, Druwene)と呼ばれ、まず歩き方によって識別される。王妃は踊り手のように、額の両側から上向きになるよう花のついた小枝状のもので装っており、大きな耳飾りもつけていた。しかし、これらの奇想天外なキャラクターたちの特徴は、奇怪な2本のアンテナのごとく、頭から伸びている約12フィートにわたる2本の鞭(むち)である。葉と乱れ髪に半分埋もれたグロテスクな仮面を載せた葉の束集団は、巨大な鞭で左右を打ちながら、ひょろ長い人間の脚を見せつつ、次から次へと寺院の階段を揺れながら降りてくる。そしてこれらの、神の恐ろしいボディ・ガードたちは、今から炎天のもと、何時間にもわたって寺院の外庭をパトロールするのである。ブルトゥックたちは手の届く範囲にいる人を容赦なく鞭で打ち、図々しすぎる侵入者たちを寺院の領域と隔てるぎりぎりの境界まで追跡する。そのため、すぐ外の、寺院の内部の様子が見渡せる良い場所は、地元の全住人と湖*4に面している村々からやってきた沢山の観衆たちで、いっぱいだった。たとえば壁の後ろに隠れて覗いたり、大きなワリンギンの樹に登ったりして、観客たちは危険を伴う戯れを楽しんでいた。というのも、ブルトゥックたちの長い鞭の打撃は、丸い角を狡猾に曲がりながら、不意に行われるからである。また、長い鞭は長くて残酷な舌のように、時には木の枝にたくみに入りこむこともあった。観衆たちは絶えずおしゃべりをしていて、鞭が空振りに終わったときは、あざけり笑うような爆笑の渦が起きた。あるいは、鞭が演者の脚に絡まったために、図々しい侵入者がちょこちょこ走って無事に逃げおおせたときは、歓喜の叫びが方々から起こった。ただし、ブルトゥックたちの悪意の唯一の例外は、女性たちがお供えを寺院に運ぶときである。彼女たちは寺院の外庭を通ることが折々許されていて安全であり、p.111→お供えの籠をブルトゥックたちへ預ける。するとブルトゥックたちはお供えを届けるよう定められているので、祠へ向かってよろよろと歩きながらお供えを運ぶ。また、ブルトゥックたちの欲望は小さな子どもたちにも向けられる。父親の腕の中でお供えの一部やお供えの玉子が欲しいと泣いている子どもへ、気立ての良いブルトゥックはそれらをわけてやる。しかしぐずぐずしている暇は絶対にない。休戦の時間が終わるやいなや、すぐに別れの鞭打ちが足を急がせる。王は誇らしげに葉の礼服をサッと音を立てるという独特のやり方で、気取って歩き回っている。また王の乾燥した葉には、バロンのあごひげの髪の毛もしくはある種のバロンの身を覆っている羽や繊維・髪の毛といった素材にこめられているのと同じく、独特の気や力といったものが備わっているように見えた。たとえば、何人かの勇気ある若者は、ブルトゥックが通り過ぎる際に、葉をむしり取ろうと冒険的に試みた。その間に他のブルトゥックが背後にやってきて鞭で叩かれる危険が常にあるにもかかわらず、である。また時には、王が通り過ぎる際に子どもを抱えた年配の女性が安全な場所から這って進み出ると、子どもに幸運をもたらす葉を求めて、危険を顧みずにひざまずいていた。そのとき王は、恐れている子どもへ、近くに寄ってくるよう優雅な合図を送った。子どもはひざまずきながら震える手で1つかみの葉を急いで取ると、ただちに安全な場所へ全速力で戻った。なぜならば、次の瞬間には子どもを脅かすかのごとく、王は鞭を振り上げたからである。そして時々ブルトゥックは2本の指を立てて、煙草を持ってくるよう、サインを出す。そこで非常に度胸のある人が危険を冒して近づき、ブルトゥックの手に煙草を載せようとすることがある。しかしブルトゥックが公平なことは滅多にない。急いで安全な場所へ移動しようとする人へ、鞭で襲いかかるのが普通である。また、煙草を取ろうとしてブルトゥックから人間の手が出てくるのは、とても不可思議な光景であった。もっとも、グロテスクな仮面の裏にはバリ人がいて、その人間の顔に仮面がつけられていたこともわかっていたし、人々の感覚は1日中ずっと寺院の構内をぶらついて鞭を巧みに使う、突然現れた奇怪な生物に支配されていることもわかっていたのだが。そして、寺院の構内でブルトゥックをもの笑いの種にする人はいない。ひょっとすると観衆たちは、安全で見晴らしの良い場所からブルトゥックたちをからかって楽しんでいた可能性もあるし、あるいは、鞭の紐が樹の枝に絡まってどうしようもない時に、それを見て爆笑していただろう。しかしブルトゥックの中に入っている演者たちはとことん真剣で、とても危険な状態を我慢している。長時間の厳しい試練による疲労、ことによると自分の役割に対する想像力が、彼ら自身をトランスのそれと似た状況へ引き起こす。時々、あちこちでブルトゥックたちがひどく疲れて崩れるように倒れ、変装をしていないトゥルナたちが倒れたブルトゥックを扇いでいる。そのトゥルナたちは事実上、鞭を打たれることからは多少免除されていた。あるいは休憩をとるために寺院へつたって登るブルトゥックもいた。しかし彼の鞭を結わえ付けているひもは結び付けられたままだったので、寺院の中へ移動してもそのブルトゥックは左右へ鞭を放つことになったのかもしれない。

 

 正午頃、一続きの階段を降りたところに位置し、寺院が所有する豪壮なバレ・アグン(Bale Agoeng, Bale Agung)と呼ばれる集会所で、いくつかの儀式的なバリス(Baris)舞踊が演じられた。そこではガムランもあり、女性たちがお供えを作ったり売ったりしていた。しかし観衆たちは概して、階上の寺院で繰り広げられていることに熱心であった。なぜならば夕方近くまで、ブルトゥックたちの途方もないパレードが続けられるからである。そして夕方4時ごろ、突然、階下の寺院へ向かう全員一斉の雪崩が発生した。怪物たちは、自分たちの前にいる人たちを追い払うかのように鞭打ちながら、突進するかのごとく大慌てで階段を下りてきたのである。P.112→供物を高いところの祠へ供えようとしていた女性たちや僧侶たち、ガムランおよびガムランの演奏者たち、商品を並べたテーブルの前にいた女性の売り子たち等、全員がブルトゥックたちの恐ろしい鞭の届く範囲に入ってしまった。そして狼狽の叫び声や大笑いの声が混ざりあう中で、全員が真っ逆さまに吹き飛ばされた。ブルトゥックたちは仮面を脱ぐ前に、思いっきり激情を新たに爆発させている様子であり、いっぽう人々は彼らの攻撃を受けないようにするためには、実際にかなり高い壁を登らなければならなかった。どの屋根やどの高所の上にも顔、顔、顔で、顔以外には何もない。そして人のいない庭では、ブルトゥックたちが餌食たちを求めて、鞭を打ちながら野生的な踊りを踊っている。その様子に較べて奇妙に対照的だったので筆者は覚えているのだが、1人の少年がブルトゥックたちに混ざって、まったく無頓着に足の向くままぶらぶら歩いていた。きっと彼はトゥルナの1人であり、特権を与えられていたのだろう。なぜならば、彼はとても軽く鞭打たれる程度で済んでいたからである。

 

 そしてついにブルトゥックたちの手にしていた鞭が、1つまた1つと撤去され、彼らは特別に神聖なバレ(bale,建物)の階段に沿って1列に横たわった。そこで、ブルトゥックたちは自分たちの任務をいったん終えて、そよ風にあたっていた。しかし特に凶暴なブルトゥックが1人いて、彼を捕まえるには長い間てこずった。これから先、中庭ではもっとも感動的な見ものである王と王妃の舞踊が演じられなければならなかったのに、彼のせいで中庭に下りるのは一時、危険な状態になったほどである。だがしかし、ようやく観衆たちが舞踊を安全に観る時が訪れた。王と王妃を演じる演者たちのスカートのような蓑は外され、たくさんの葉でできたマントのものだけが、相変わらず演者の身を装っていた。そして仮面が2つの古い仮面に取り替えられた。その2つの仮面は、もともと寺院で偶然に発見されたものということである。王と王妃は最初、地面に座りながら踊った。2人はカサカサと音を立てる葉っぱ製のケープを常に左右へ急いですくめるので、その姿はまさに巨大な鳥が怒ったり怯えたりして羽毛を立てているように見えた。それから2人は立ち上がり、互いに向かい合って、素早いサイドステップであちこちへ疾走した。すると土埃がもうもうと立ち上がり、その中に2人がいるように見えた。さらに2人は葉っぱ製のケープを荒々しく震わせるので、まもなく地面は葉で覆われた。そのあと2人は一瞬、飾りつけが施された竹製の槍旗のそばに落ち着いたが、ケープを荒々しく震わせるのをやめることは決してなかった。王妃はまさに、彼女へ飛びつかんとする王から巧みに逃れ続けている様子であり、両者は半狂乱で跳ねたり、飛んだり、あちこちへ矢のように突進していた。それに対して観衆たちは、叫び声をあげたり嘲笑的な言葉で、王を激励した。ガムランは王と王妃の風変わりな舞踊の伴奏をせず、音といえば2人の衣装の乾燥した葉が擦れるカサカサという音と、観衆たちが励ます叫び声だけである。両者の舞踊が激しくなるにつれて、何かが起こりそうな戦慄もクレッシェンドになっていく。そしてついに、2人は激しい抱擁で舞踊を締めくくった。しかしそれは、ほんの瞬時のことであった。両者は離れると、身につけていたケープをひきはがし、湖へ向かって電光石火の速さで勢いよく走り出した。それに続いて2人と同じように衣装を脱いだほかのブルトゥックたちも走り出し、そのあとにほぼ全員の観衆たちが続いた。ブルトゥックたちは仮面をそれぞれ頭の上に載せていて、夕陽で出来たシミ1つない鏡が彼らの姿をくっきりと映し出していた。そしてブルトゥックの演者たちが湖[訳註:バトゥール湖]の中へ飛び込むと、疾走は終わった。火山[訳注:バトゥール山を指す。バトゥール山は活火山。バトゥール湖はかつてバトゥール山が噴火したときにできた]が損傷した姿で湖面に映っている中に、仮面が浮いているという光景は、ことによると全ての中でもっとも奇妙な見せ場だったのかもしれない。しばらくの間、奇怪な顔が湖の上を漂いながら泳いでいて、彼らの生気のない眼と脅迫するような歯が空を凝視していた。

 

 そうしているうちに、王の葉っぱ製のマントは湖岸に広げられ、その上にはカイン・グリンシン(kain gringsing)*5が広げられた。僧侶は供物を供え、顔を湖へ向けた。するとブルトゥックの演者たちが1人また1人と湖からそっと歩いてきて、仮面を外し、p.113→普段着に着替えた。仮面はカイン・グリンシンの上に2列に並べて置かれ、王と王妃の仮面は他の仮面よりもわずかに高い位置に置かれていた。僧侶は小さなたいまつを点し、彼が祈っている間、たいまつは上方から照らしていた。年配の女性と若い男性が1名ずつ、供物を供えた。ブルトゥックを演じていたトゥルナたちは円状になってひざまずいている。彼らの疲れた顔が、ゆらゆら揺れるたいまつの火に照らされて、ちらりと見えた。演者たちには何度も何度も聖水が撒かれた。そして仮面たちにも同様に、聖水が撒かれた。さらに観衆たちのたくさんの顔や手が、聖水を自分たちにも割り当ててくれるよう、せがんでいた。

 

 そのあと、夕闇が迫ってきた。若い男性たちが頭の上に載せた籠に仮面を入れて、寺院へ返しに運んでいった。

 

 のちに筆者はマイヤーヴィッツ氏(Mr. Moyerowitz)から、ナイジェリアのエグングン(Egungun)の踊り手たちが、ヨネバ(Yoneba)と呼ばれる、先祖が踊る儀礼で用いる仮面の写真を数枚見せてもらったことがある*6。トーテムの動物たちを表現している仮面にはラフィア椰子やパーム椰子の細長い飾りがついていて、踊り手たちの外見は、好奇心をそそられるくらいバロン・ブルトゥックと奇妙に似ていた*7。もっとも筆者は外見の類似点が面白そうなので気になると述べているだけであり、双方の詳細な比較を行うつもりはない(脚注1:B.Laubscherの著作『Sex, Custom and Psychopathology』p.128を参照)。

 

 さて、動物の仮面を用いる数々のバロンのうち、筆者たちが今も見る機会を得ていないものは、鹿のムンジャンガン(Mendjangan, Menjangan)、馬のジャラン(Djaran, Jaran)、犬のチチン(Tjitjin, Cicin)、山羊のカンビン(Kambing)、中国の虎[訳注:原書ではchinese tiger。アモイトラ]の1種であると言われているけども何の動物であるのかはっきりとしないウズラのプウ(Poe’oeh, Puuh)である。そしてバロン・グゴンブランガン(Barong Gegombrangan)について触れておかなければならない。バロン・グゴンブランガンでは一見、レヤックがランダの代わりをしている。そしてレヤックがランダのような衣装を着て「地面を掃除する」長い舌を出しているので、どうやってランダを区別するのか、そのからくりを説明するのは困難である。またこの形式のバロン劇には独自の筋書きがあり、上演グループがギャニャール地方を周っている時にサヤン(Sajan, Sayan)村にも寄って、時々演じるという。最後に、バロン・ブラスブラス(Barong Blas-blas)[訳註:バロン・ブラスブラサン Barong Blas-blasan, Barong Belas-belasanとも呼ばれる]について。これは舞踊ゲームの1種で、バロン(訳註:バロン・ブルトゥックなどをさす)が出かけて村にいないガルンガンの時に、しばしば演じられる。このバロンにはバロン・ブラスブラスという名称を除いて、バロンと何らかの繋がりがあると想像するのは難しい。そしてバロン・ブラスブラスではワヤン・ウォン(Wajang Wong, Wayang Wong)劇に用いられる猿の仮面をつけた相当数の男性や少年たちが、家を一軒ずつ訪れたり、通行人たちを追いかけたり、またプンチャック(Puntjak, Puncak)[訳註:伝統武術や武道の1種]にかなり似たスタイルで小規模な対戦をおこなう。山岳地方の村では、演者たちはランダのように毛足の長い、毛羽立ったヤシの繊維で装っているとのことである。

*1: バリ・アガ/Bali Agaと呼ばれるバリ先住民が居住する村はいくつかあるが、トゥルニャン村もそのうちの1つ

*2:I Made BANDEMとFredrik Eugene DeBOERの共著『Balinese Dance in Transition』1995(Second Edition)Kuala Lumpur: Oxford University Pressに詳しい説明がある。James Danandjajaの著作『Upacara-upacara Lingkaran Hidup di Trunyan』1985 Jakarta : Peneribit Nasional Balai Pustakaはタイトルから察するに詳細な記述を含むと思われる。

*3:トゥルナはバリ語で「未婚男性」を意味する。この章では、トゥルニャン村成員の子どもたちで、なかでも未婚男性たちによって構成されている青年団に所属するメンバーたちのことを、著者はトゥルナと呼んでいる

*4:バトゥール湖。トゥルニャン村はバトゥール湖の湖畔に位置する

*5:訳註:バリ島先住民のバリ・アガが居住するテンガナン・プグリンシンガン村で制作される織物。経緯絣あるいはダブル・イカットと呼ばれる技法は世界的にも珍しく、織りあがるまでに5年以上の年月を要することもある。その過程では各種の儀礼がおこなわれ、グリンシン布の制作に関する規律もある

*6:ヨルバ族のエグングンは先祖を表現しているといわれ、Odun Egungunと呼ばれる儀式や、葬儀なども含む家族に関する儀礼にも登場する。また路上にも登場し、踊り、叫び、徘徊する。なおエグングンという言葉は「骨」を意味する。ヨネバに関しては不明

*7:仮面以外はあまり似ていない気もする