The Drama of Magic. PartⅠBarong その11

Beryl De Zoete & Walter Spies, 『Dance and Drama in Bali』p.104の4行目からp105の27行目まで

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

一般的にクリス・ダンサーの総数は多い。しかし筆者はたった1人しかいない場に遭遇したことがある。ながいあいだ、世話人たちはてこずりながら彼を押さえつけていた。ランダの退場を待って、彼は低い唸り声をあげながら前方に走り出してきて、バロンの脚に抱きついたり、頭をバロンの口に突っ込んだりした。供物が男性たちの頭上越しにすばやく運ばれてきて、バロンの前に敷かれた敷物の上に置かれた。黄色く輝く素晴らしい星が山肩のそばにあがり、三日月ごろの若い月が椰子の葉の間に昇っていた。しかしトランスに入った男性は、まだ踊り続けている。供物運搬にかかわった男性の1人が彼と一緒に、メンデット(Mendet,Pendet)の1種を踊りだした。夜になった。トランス状態の男性が踊りをやめなければ、椰子のたいまつに火を点し、野獣のような男性をこっそり追跡するのである。そこで人々は彼を捕まえてバロンのそばに連れ出し、聖水で浄めてトランスから覚醒させようと、そのそばに近づく。

 

 バロン劇上演に関する記述だけで、1冊の本を作り上げてしまうことも可能である。なぜならば、たいせつな細目においても、各村で考え方ややりかたが異なるからである。こんなにヴァラエティに富んでいるものを、少ない枚数に詰め込んで記述するには、どのようにすればよいのか?また、それぞれの特徴や特質をまとめるには?あいにく、同じような問題はバリのあらゆる舞踊を記述するさいに生じる。ありふれた形式をとってはいるが、踊りの数々はヴァリエーションに富んでいる。たとえ観たことがある舞踊の楽しさや喜びを伝えようと思っても、ヴァリエーションの豊かさは1つだけを取り上げて記述することを許さない。バリの舞踊はそのことを念頭に置くよう、筆者たちに宣告しているかのようである。また一般的な写真を提示しながら、若干の報告をおおまかにまとめることを強いられても、それは事実を示しているにすぎない。なぜならばバリのどの舞踊も舞踊劇も著しく個性的であるから。仮に何らかの共通点があるとすれば、それは最新の知識や情報を観察して、あるいは、状況を判断してふさわしいやり方を取り入れようとする「自然の法則」である。これに気がつけば申し分のない、優れた研究ができるだろう。たとえば「バロン劇は夕暮れまでにいつも終わるものだ、日が暮れてからは演じられない」と一般的に言われている。しかし、ある時に筆者たちが観たバロン劇は、その言葉どおりではなかった。登場するにふさわしくない時間がしばらく経過したあとで、バロンは居場所から出てきたのである。そして暗闇のなかで、光輝く立派なたてがみをなびかせていた。雨よけとして点されたたいまつの火が彼の胴体を輝かせる。それはまるでバロンが大型の暖炉の炉床にいるような光景であった。

 

 ランダやバロンなどの特別な意味や力を持つ仮面は、特異な状況下にあった木を材料にすることがしばしばある。一例が、波に流されてきた青光りを発する木片で、それは神からの贈り物とみなされている。そして仮面は白い布に包まれている。この白い布には悪に抵抗する守護となる絵と、神聖な音韻が描かれている。この類の仮面はすべて、初めて使う前と、使い出してからも、魔力を充填する。この、魔力を充填することをムレ(M'reh,訳註:もしくはヌレ/Ngereh)という。ある村では大急ぎで作った仮面を、特定の男性がかぶってみた。もし、この男性から最初に光が発したならば、その仮面は妥当ではないのである。ある時は、8回試みたのち、9回目にして仮面が勝ったという。

 

 どの村も独自のやり方でムレをおこない、特別の供儀をささげる。南部の海岸べりの村では、ランダの仮面の数々に魔力を充填したいとき、夜に仮面を墓場へ運び、籠に入れて樹の下に置いておく。ランダの仮面をかぶることになっている男性たちは、つぎの供物を捧げる。p.105→それは頭を切り落とした去勢していない牡の子豚と、鼻づらが赤茶色の、白い子犬の肉塊である(この種の供物は霊たちをなだめるために、さまざまな場合に使われる)。供物を捧げたのち、男性たちは仮面をかぶる。するとただちにトランスに入ってしまうのである。その状態のまま彼らは寺院へ連れて行かれる。儀礼をおこなっている間、墓場で火を点すことは許されない。火を点すと、ドゥルガの魔力が仮面に入らないからである。

 

 墓場での儀礼を終えてプラ・ダレムに帰るランダの記述を進めよう。ガムランが寺院の内側で演奏している。人々が走る足音と、小道を通って海からやってくるトランスに入った人々の発する取り乱した叫び声が聞こえる。するやいなや、2体のランダが凶暴な叫び声をあげながら寺院の内庭へなだれこんできた。2体の青白い顔とボサボサのたてがみは、ぼやけたような光のなかでも非常に恐ろしい。すぐに数名の少年と男性たちがランダを攻撃しようと、前方に走り出る。まるでよく滑る氷の上で動いているような迅速な動きで、トランス状態のランダの足元に滑りこむ者もいる。3番目のランダがやってきた。すでに深いトランスに入っている。内奥の庭へ向かって前進している先の2体のランダは、徐々に打ちひしがれたような様子になり、ついに人前から姿を消した。半ダースほどの人々が地面でのびている。彼らはさまざまな姿勢で身をゆだねていて、倒れたときの姿勢のまま動かない者、かすかに動きながらうめいている者もいる。まもなく、輝かしいバロンがたてがみを揺らし、歯を噛みあわせてカタカタという気持ちの良い、元気を与えてくれる音を鳴らしながら、奥の暗い寺院から倒れている人々のところへ歩いてきた。バロンが足で地面を打つと、数名が反応を示し、残りの者は主要な祠の前へ体を引きずられていった。その祠の前にバロンは立ち、人々に祝福を与え、あごひげを使って人々の回復を図るのである。この時までにランダたちの仮面は棚に並べられ、白い布ですでに覆われていた。そしてガムランによる非常に美しい旋律が演奏されるなか、供物の意味をもつ舞踊(メンデット)が踊られ、バロンへ捧げられる。少女たちがすべての祠とランダたちへ捧げる供物を運んでいる。そしてバロンは家に帰る。人々も三々五々、家路につく。ランダの仮面は寺院に残しておかれ、寺院で保管されるのである。