The Drama of Magic. PartⅠBarong その3

Beryl De Zoete & Walter Spies 『Dance and Drama in Bali』p.91の33行目からp.94の26行目まで 

1973(Reprint) Kuala Lumpur : Oxford University Press, Originally published by Faber and Faber Ltd. 1938

 

バロン・ケケッは、バロン劇におけるその立ち回りに関する話がたいへんよく知られていると同時に、他のバロンにくらべてはるかに重要なバロンである。ライオン、象、虎、クマのバロンは1年の決まった時期になると、路上で戦いの真似事を繰り広げる。そして野豚のバロンはしばしば、寺院の祭礼期間中に、トランスに入る人が必要とする媒体になることがある。(注:Additional Note, 'Birthday of a Barong Landung'を参照のこと。(訳註:大部のため、Part1バロンが終了後に掲載を予定)しかしバロン・ケケッが一連の劇で演じるような神秘的で理解するのに複雑な役を、これらのバロンが演じることは決してない。バロン・ケケッはたいへん高度で不思議な力を持っている。彼は村の寺院内に立てられた、あるいは村で有力な人物の屋敷内に建てられた、バレ(Bale)という特別に壁をめぐらした小さな家 に住んでいる。あらゆる聖なるもの、たとえば神々の彫像などと同じく、人間がバロンを地面に触れさせるようなことがあってはならない。p.92→そこでバロンはその収納小屋の天井から吊るされているか、もしくは木製の支柱の上に載せられた形で収納されている。後者の木製の支柱はバロン劇で使われ、出番を待っているバロンはその支柱の上に載せられている。小さな小屋の扉から、バロンの輝く仮面と金色の耳を見たことのある人もいることだろう(ことによると寺院の祭礼がある頃に、扉は緑・赤・青・金色で塗りなおされることがある。扉の上の灯り取りの格子と壁も小奇麗に塗りなおされる)。バロンは踊るために小屋から連れ出される前に、僧侶が口へ運んでくれる供物を待っているのである。

 

 2人の男性がバロンの動作を操る。1人は前脚と仮面を、もう1人は後ろ脚を担当する。バロンを動かせることは、並外れた技能を持っていることをあらわす。また、仮面が特にテンゲット(Tenget)(注:とりわけ神秘的な力が高いな場合、2人の踊り手は神の祝福を受ける。踊り手は2人とも一般的に、赤・黒・白の横縞柄のズボンをはいている。時には短い毛をつけたズボンをはいている踊り手たちもいる。

 

 驚くべきことは、音楽的才能に恵まれ、かつ創意工夫に富む踊り手たちが、バロン舞踊で繰り広げるたいへん豊かな表現である。もちろん前脚の踊り手が、踊りそのものにとって重要なテンポやリズムの指示を請け負い、またバロンが空間をどのように使うのかといった進行も請け負う。後ろ脚の踊り手は感覚を駆使して、前脚の踊り手のステップに従わなければならない。蝿を振り払うかのようにバロンがぶるぶると肌を動かす動きを、後ろ脚の踊り手が担当することもあるし、補助的な後ろ脚の動きが前脚の踊り手に想像力を与えることもある。バロンが1回でターンするとき、後ろ脚の踊り手は敏捷に、前脚の2倍から4倍の速さで横から移動することだろう。ときどき前脚の踊り手は、まるで後ろ脚の踊り手を騙してみたい様子で、身をかわすような素早い動きをおこなう。しかし後ろ脚の踊り手は前脚の踊り手が創り出すあらゆるニュアンスに対して、驚くほど誠実にほとんど従っている。そのため観る者は、バロンが2人の踊り手で演じられていることをまったく忘れてしまうのである。1頭の動物を模倣した動きが観客を魅了し、夢中にさせる。いや模倣であることさえ忘れて、この魅力的な動物の機嫌や行動が変化するのを、とりこになって観るのである。門に掲げられた、欠かすことのできない傘のあいだから危険な人間世界へと、警戒心あらわにバロンは登場する。ゆっくりしたステップと速いステップを繰り返し使いながら、舞台となるグラウンドのあちこちをじっと見つめたり、逃げたり、曲がりくねった進行をとったりする。ひざまずくこともあれば、みごと大の字に横たわることもある。座るときもあるが、2本の前脚を腕のように動かして踊っていることもある。後ろから飛んできた蝿にパクッと噛み付くこともあれば、頭と尻尾を使ってとてもコミカルな仕草をすることもある。魔女と戦っているときも、バロンは地面に身をすべて沈めるような仕草をしたり、毛がふさふさしたその胴体を真ん中で折りたたんだような状態になることもある。それはまるでヤギの敷物のような姿である。しかしそのポジションから前脚と後ろ脚の踊り手が、同時に不意打ちをくらわせるようにして舞台空間で踊りはじめる。

 

 バロンの動きのヴァラエティは尽きることがない。次のようなバロンの動きを見ることもあるだろう。クロスした脚で慎重に進み、ガムラン奏者の前で「伏せ」をする。あるいは傘に従われつつ身を低くして舞台となる地面を観察しながら、クルベット(訳注:前脚が地面に着かないうちに後ろ脚だけで優美に跳躍前進する高等馬術や、身悶えをする。寺院の門で舌を震わせながら座り、足の裏が見えるように脚を持ち上げる。あるいは簡単にできないステップ、すなわちポーイング(訳註:馬が地面などをひずめで蹴ることをする。それからゆっくりと徐々に興奮しだし、巨大で突き出た城塞のような彼の頭部は、尻尾に弾かれんばかりである。p.93→興奮しやすい脚が砂煙を蹴り上げだせば、バロンの金色の背中も生き生きとしだす。バロンは槍のあいだをゆっくりとひそやかな足取りでうろついた後、巻かれてあったものが解けたように、とつぜん一馬身ほどを疾走する。(注:むかし、新しいバロンがデンジャラン(Dendjalan, Denjalan)で作られた時、7つのバンジャール(bandjar, banjar)すなわち、村の7つの区が新しいバロンをかぶって踊るために踊り手たちを派遣した。あるいは新しいバロンを踊らせるために踊り手たちを行かせた、と言えるのかもしれない。それはバロンのステップの総レパートリーを目撃する素晴らしい機会であった。各2人のコンビネーションが失敗する可能性は少しもなかった。たくさんの非常に楽しい振り付けが披露され、踊り手たちとガムラン奏者の間で美しい対応があった

 

 バロンは常に音楽へたいへんな興味を示し(注:Additional Note 'Barong at Boeroean'を参照のこと。(大部のため、Part1バロンが終了後に掲載予定、時々、楽器の前に座ったりするが、その間も演奏者たちは冷静に最上の演奏を続ける。彼は太鼓が特にお気に入りで、片足を太鼓の上に乗せることを好む。しかし時折バロンは演奏中の旋律に不満を抱くこともあり、その時は決まって歯をカタカタ鳴らして、いわば音楽に噛みつく。バロンのさまざまな動きは、ガムラン(訳註:ガムラン音楽とバロン(訳註:踊り手の完璧なやりとりがあってこそ成り立つのである。ガムランは、感情の起伏が激しいこの怪獣が出す指図のすべてに従う。それはバリスの踊り手の気まぐれに従うのとよく似ている。緩慢から迅速へ、平安から興奮へ、という雰囲気の移り変わりに加えて、突然の静寂やためらいがちに窺ったりする様子、そしてほとんど人間としての意識がない状態でおきる神秘に満ちたシーンなどを、ガムラン奏者たちは目と耳を同時に働かせて読み取る。それは言語に絶するほど感動的でエキサイティングである。しかしすべての村にバロンがあるわけではない。北部バリや、ヒンドゥが流入してくる以前の文化を継承しているバリ・アガ(Bali Aga)と呼ばれる人々の住んでいる村には(注:我々はヒンドゥ教徒移住者たちの文化についてはほとんど知らない-おそらく、残存するテキストから得られるヒンドゥ教の概念とはかなり違っていることだろう-ので、独特な文化の要素を「ヒンドゥ教ではない」とレッテルを貼って分類することは、実際には不可能である 、ふつうバロンは無い。それに対して南部バリでは1つの村で2体の、あるいは3体におよぶバロンを持っていることが時折ある。そのたいていは虎か野豚のバロン、そしてバロン・ケケッという取り合わせである。バロンを持っていないのは経済的事情や、住人たちがそれほど関心を持っていないのでスカ(Sekaa, Seka)(注:クラブ)を結成しない等の理由も挙げられる。しかし僧侶がトランスに入り、神がバロンを欲しがっているという宣託を聞いたならば、障害のすべてを克服しなければならない。たとえば、ある村は卓越した神秘的な力を持つ魔女の仮面を所有していたが、僧侶がトランスに入ったときに神は「その魔女の仮面につりあうバロンをつくるように」と申し渡した。そのような場合、バンジャールを挙げてスカを結成し、ガムランや高価なバロンを1体購入するためになんとしてでも金銭を集めるのである。村を挙げてバロンを作ったときの逸話はたくさんある。そしてそれらの逸話は、素晴らしい胴飾りをつけた最高級のバロンを購入するために、すすんで献身的な態度になる村人たちを示している。ひどい凶作の年にブドゥル(Bedoeloe, Bedulu)村(注:ケチャの村の神々は、トランスに入った僧侶(Pemangkoe, Pemangku)を通じてカラスの羽を纏ったバロンを作ることを命じた。この命令に意義を唱える村人は誰1人としていなかった。そしてカラスの羽飾りの購入資金とするため、あと少しで支払いを終える村の高価なガムランを中国人のもとへ1年間質入することに決めた。そうこうするうち、25ギルダーにのぼる供物を供えたならば、人里離れた寺院でカラスの羽をみつけることができることを僧侶は知った。p.94→はたして、15日間にわたって毎夜、数百羽のカラスがその小さな寺院の1本の樹にとまり、翼をふるわせると雪が降るようにたくさんの羽が地面に落ちた。その15日間のあいだ毎朝、僧侶は羽を集め、そうしてカラスの羽を纏ったバロンが出来上がった。

 

 我々は最初に、いくばくかの事情をブドゥル村のバロンから知り得た。そしてここのバロンが、バリの歴史の初期において偉大な王たちの何人かがおそらく中心地としていた、まさにブドゥルという村の歴史的エピソードと結びついている。シヴァ神の妻ギリプトゥリ(Giriputri)はバリの王の祈りに応じて姿を現し、次のような約束をした。すなわち「ある特定の日に特製の供物を捧げるならば、この国を疾病から保護する。また人間を殺したり体内に侵入したりする3種の鬼に、鬼の偉大な王であるサン・カラ・グデ(Sang-kala-gede)すなわちバロンの体内へ入るよう、おびきだそう。しかし必ずガルンガン(Galungan)(注:新年 訳註:ニュピ/Nyepiを新年の元旦と解釈するのが一般的かと思いますが、ここでは原著に従いましたには、供物と金銭を受け取ることができるようにバロンを練り歩かせなくてはならない」と。このエピソードには後日談があり、ある有名な王は供物が過分に捧げられたと思い、すべてを取りやめる命令を出した。すると王はインドラ(Indra)神によって殺されてしまった。(注:その物語は'Topeng Stories'原著p.294を参照。(大部のため、Part1バロンが終了後に掲載する予定です

 

 こんにちまでバロンを練り歩かせる行事は、ガルンガンの時期に正確におこなわれている。ガルンガンは我々の万霊節に相当し、祖先の神々がアグン山から降りてきて家々の寺院の祠を訪れる日である。この日バロンは道路に出て、自由が与えられる。昼夜を問わず、バロン同士が路上で遭遇することもある。ガムランと小規模な群集がつき従い、バロンが踊りながら家々を門付けして金銭を集める。かつて筆者たちは夕陽が沈むころに、20体から30体におよぶバロンが山道を流れるように下ってきて、聖なる沐浴場ティルタ・ウンプル(Tirta Empoel, Tirta Empul)に集まる情景を目撃した。それぞれのバロンにガムランが付き従っていた。カップのような形をした谷間の窪地で同時に、めいめいのバロンのために演奏していたのである。それは素晴らしい音楽的効果をもたらし、また説明できないほど美しかった。バロンたちは寺院の供物から餌を貰いうけ、何体かは感覚が異常に研ぎ澄まされる状態を得てトランスに入った。(つづく)